【いつの時代の話?】
≪ここでまた、後人の考察に資するために、
人から人へ病気がどういうふうにして感染してゆくか、
その経路についてももう少し述べておくべきであろうと思う。
つまり、病気が直接に健康な他の人にうつってゆくのは、
けっして病人からばかりでなく、また健康人からでもあるということを言いたいのである。
(略)
ところで健康人だが、私がここでいう意味は、
病毒は受けている、実際に体にもっている、血の中にもっている、
しかも顔には何の徴候も示してはいない、
いや、自分でも病気のことに気がついていない、
何日間も気がついていない――そういう人間の謂‹いい›である。
こういう連中は、あらゆる場所で、また行き合うあらゆる人に向かって、
いわば死の息を吹きかけているのである。
いや、そのまとっている衣服自体に病毒がうようよしている。
その手は、その触れるあらゆるものに病毒をうつしている。
(略)
ほんとうに健康な人々が恐れなければならないのはじつにこの種の人間であった。
しかし、それにしても、どうやったらその見分けがつくのかだれにもわからなかった。≫
病勢が衰え、週報に載る死亡者が急激に減少すると……
≪もう大丈夫だ、という考えがいわば稲妻のように瞬時に
ロンドンじゅうに広まり、人々の頭はそれにとりつかれてしまった。
その結果、その後二回分の週報に現われた死亡者数は割合からいって
一向に減じてはいなかったのである。
つまりその理由は、彼らが今までの用心も注意も慎重さもことごとくあげて捨て去って、
もう病気にはかからぬ、かかっても死ぬことはない、と高をくくって
みずから危ないところに飛びこんでいったことにあったようである。
医者たちはもちろんこういうあさはかな考え方に対して全力をあげて警告した。
そして心得書を印刷して、市民はもちろん、郊外にいたるまでくまなく配布し、
死亡者は減りつつはあるが、まだなお自粛生活をつづけてもらいたい、
平生の日常生活においても極力用心をつづけてもらいたいと勧告した。
もしものことがあれば、全市にわたって疫病の再燃の恐れがあり、
再燃したあかつきには、今まで蔓延してきた流行とは比較にならぬほどの
惨禍と危険を及ぼすことになる、と警告も発した。
(略)
しかし、そのような努力も全然効果はなかった。
最初の朗報に有頂天になり、死亡者数の急激な減少をみて欣喜雀躍した連中は、
もうすっかり大胆になっており、今さら何をいっても受けつけようとはしなかった。
何と説得しようとしても、死の危険は去った、ということ以外には
何も理解しようとはしなかった。
(略)
店は開く、街頭には出る、商売はする、
やって来る人とはだれとでも話をする、という具合であった。
話といっても用談だろうが用談でなかろうがかまったことではなかった。
(略)
この無鉄砲な行為のために、せっかくの命を
むざむざ捨ててしまった者の数もはなはだ多かった。
せっかく今まで用心の上にも用心を重ね、
人間という人間にはだれも会わずにじっと閉じこもってきた連中が、
神のご加護のもとに、そうやってあの燎原の火のごとく狂う疫病を免れてきた連中が、
この期に及んで命を捨ててしまったのである。≫
長々と引用しましたが、これは、『ペスト』という作品の一節です。
『ペスト』といっても、ノーベル文学賞作家のアルベール・カミュではなく、
『ロビンソン・クルーソー』の作者、ダニエル・デフォーのもので、
しかも、カミュの『ペスト』が刊行された1947年からさらに200年以上前、
1722年に発表された作品です(平井正穂訳・中公文庫)。
1665年ロンドンで大流行したペストに題材を取っていて、
商売を営むロンドンの一市民による観察録の体裁になっています。
今から350年以上前の話ですが、驚くほど今と重なることが多くて、
本が付箋だらけになってしまいました(^^;
作品の舞台となったロンドンでのペスト大流行は、
ペスト菌が発見された1894年から見ても200年以上前であり、
医療や社会の事情は現在とはもちろん違いますが、
人間の本性って変わらないのかと、改めて考えさせられました。
≪カミュの『ペスト』よりも現代的と評される傑作≫と
裏表紙のあらすじにあるのも、なるほどと。
【公衆衛生のために変われるか?】
4/7に7都道府県へ発令し、4/16に全国へ広げられた緊急事態宣言が、
39県で解除されました。
多くのみなさんの努力の成果と喜びたい一方で、
(ペストと新型コロナウイルスは違うとはいえ)
ワクチンや治療薬が行き渡る前に、
先に引用したようなことにならないようにと願わずにはいられません。
それにしても、これから必要とされる「新しい生活様式」。
感染防止のためにいろいろな「様式」が示されています。
無理難題とは言いませんが、順応には個人差もあるでしょうし、
それが原因でまた、いざこざが生じる場面もあったりして……。
人口集中や活発な人の移動で感染症がより広まりやすくなっている現代、
今回の新型コロナウイルスのパンデミックは、今後、
公衆衛生のために人々がどう変われるか試されているのかもしれません。
再び、1665年ロンドンペスト大流行を描いた作品から引用します。
≪流行が激烈であった時に、
市民たちが苦しみをともどもになめあっているのを目のあたりに見、
互いに慰め合っている姿をじかに見た者は、
今後はわれわれはもっと愛情をもたねばならぬ、
他人を責めることはやめねばならぬと固く心に誓ったはずだった。
そういう光景に当時接した人は、だれだって、
こんどこそまったく生まれ変わった精神で
みんなでいっしょに仲良くとけ合ってゆこうと思ったはずだった。
ところが、どうしてもそれができなかったのだ。
争いは依然として残っていたのだ。≫
2020年、私たちはどうでしょうか?