その他

「わからない」と「知らない」は同じではない

【もうひと頑張り!?】

緊急事態宣言が今月末まで延長されました。
一方で、どうなれば解除されるのかの基準も、
いわゆる「大阪モデル」も出てきて、議論されています。

出口の見えない我慢にはおのずと限界があるというもの。
場合によっては解除が早まる可能性もあるようですが、
もうひと頑張り、で済んでほしいですね。

もちろん、解除になってもそれでOKというわけではなく、
感染流行の第二波に注意は必要という状況は続くようですけど。

有効なワクチンや治療薬がひろく行き渡ることをゴールとするなら、
その日が一日でも早くやってくるのを願うばかりです。

――人間は希望のない半月には耐えられないが、
希望のあるひと月には耐えることが出来る――
(高嶋哲夫『首都感染』)

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【満点の“正解”はどこに?】

前回本欄で取り上げた動画「ウイルスの次にやってくるもの」の中で、
「誰にもまだ分からないことは、
 誰にもまだ分からないことでしかない。
そのままを受け止めよう。」
という一節がありました。
今回、これに関してご紹介したい考え方があります。

工学博士で作家の森博嗣さん(『すべてがFになる』の作者でもあります)の、
『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』(2013年刊)という、
そのものズバリのようなタイトルの本があります。
その中で次のようなことが書かれています。
長くなりますが、引用します。

――みんな周りを見回して、
自分がどうすれば良いのかを「選んでいる」だけで、
考えているとは思えない。
選択肢が簡単に見つからないような、
少し難しい問題に直面すると、どうすれば良いかを、
「人にきく」人、「調べる」人が多くなる。
でも、なかなか自分では考えない。

こうなるのは、学校の勉強やテストなどで、
「わからない」状態が「知らない」ことだったためだ。
つまり、勉強するというのは、「知る」ことだった。
知識を身につけることが学業であり、
物事を理解するすべてだと思い込んでいるのである。

(略)

知らないから不安になるという人が多いけれど、
誰も本当のところは知らないということくらいは、
知っておいた方が良い。
専門家は、比較的詳しいというだけだ。
それは、過去のデータを沢山知っているにすぎない。
未来のことを知っているわけではない。
だから、実際にこれからどうなるのかを知っている人間はいない。
それなのに、「教えてくれ」「きちんと説明してほしい」と詰め寄ろうとする。
これも、考えることをせず、ただ知ろうとしている姿だ。
自分で少し考えるだけで、かなり理解が深まるのに、
それをせず、ただ知ろう知ろうとするから、疑心暗鬼になって
「ちゃんとすべてデータを見せてほしい」
「なにか隠しているんじゃないか」と疑ってしまう。

おそらく「自分の考え」なんて信じられない、という人が多いのだろう。
自分は、専門家ではない。わからない。知らない。
だから考えてもしかたがない、という気がしているのだと思う。
そう、気がしているだけだ。考えているというレベルまで達していない。
自分の考えが信じられないと考えることさえしていないのではないか。――

私は、この見解に全面的に賛成というわけではないんですが、
それでも、読んでいてかなりドキッとしたことを覚えています。

今回の新型コロナ危機に引き寄せてみると、
巻き起こるさまざまな難しい問題、例えば、
感染抑制と経済の兼ね合い、教育の混乱、制度や慣習の見直し……に対し、
なにか唯一の正解がどこかにあって、
それを“効率良く”手に入れよう(知ろう)とする姿勢自体が、
すでに賢明ではないのかもしれない、と考えさせられました。

というのも、正解を知った気になると
それ以外のことが目に入らなくなり、
入ったとしても、「それは間違っている!」と
一方的に排除してしまいがちになるからです。

世の中のほとんどのことは、中居正広さんじゃないですけど、
0か100ではなく「1から99の間」にあるのだとすれば、
その座標は、他人の答を知るのではなく、
自分で考えることが大事なんですね。

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